森の人

 家主の中学生の時、社会科の教科書には、毛皮を着た縄文人が鹿やイノシシを追っている図が描かれていました。一つところに長くは定住せずに、主に獣を追って狩りをする移住生活が縄文時代だと学びました。石器時代の未開とか野蛮の文字が、縄文時代にも当てはまるイメージをずっと持っていました。

 でも、それは間違いでした。学問の研究が進むにつれて、縄文人の新しい姿が浮かび上がってきました。

 縄文人の冬の姿は確かに毛皮を着ていたでしょうが、縄文人は狩猟だけでなく、炭化種子が見つかったことから、栗や胡桃、ヒエやそばなどの雑穀の栽培や採集をしていたことが、今ではわかっています。からむしや木の皮等の植物繊維でできた衣服も見つかっています。漆の土器や櫛もたくさん見つかっています。接着剤としての漆やアスファルトも精製していました。麻の種も見つかっています。麻を栽培して衣服に利用していたのでしょう。
 また、縄文ポシェットのような籠も編んでいました。ポシェットの中にはクルミの半割の実が残っていました。近くの森から草や木の材料を取ってきて、服や籠を編んで日常に使っていたのです。

 いのちの誕生の喜びと死の悲しみ、そして再び生まれ変わる再生の祭りと祈りの場として、ストーンサークル(環状列石)もたくさん見つかっています。

 縄文人は決して野蛮人ではなく、高い文化を持つ文化人だったのです。

  また、交易もしていてヒスイや黒曜石も見つかっています。もちろん家や塔のような大きな建物を作る技術もあって、定住していました。三内丸山は一千五百年もの長い間、同じ里に住み続けています。

 一万数千年以上に亘って栽培・採集、漁撈、狩猟の生活を営み、大きな戦争も貧富の差もなく、平和の裡に暮らしていたのが縄文時代でした。その中心に懐の深い豊かな森があったのは、言うまでもありません。

 それ以後弥生時代からは、吉野ヶ里遺跡の環濠の城柵からわかるように、村同士の戦争が始まり、現代は国や民族や宗教戦争にまで行き着いてしまいました。弥生時代から3千年足らずなのに、その間、ずっと戦争が絶えず、時代のゆき詰まりを感じます。一万数千年もの長い間、衣食住の多くを森から得、文化や精神性も森に依拠していた縄文時代。森の人である縄文人の生活や精神を、今一度再評価する時期が来ているように思います。

 北東北には、三内丸山遺跡、亀が岡遺跡、是川遺跡、御所野遺跡等国指定の縄文の遺跡が20カ所もあります。一つそしてひとつと訪ねていく楽しみが、これから待っています。縄文の精神を五感で体感したいと思うのです。

          PDR_1174.JPG
         


 
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