春のゴミ

春という心浮き立つときに、ゴミということばはそぐわないのですが、北国でゴミが目立つのが、じつは春なのです。

冬はすっかり雪に覆われ、一面純白の世界。この世の汚辱は隠れて見えません。夏や秋は草木に覆われ、藪の奥にゴミは隠されます。

そういうわけで、ゴミが一番目立つのが春です。田舎の美しい風景と裏腹に汚い景色が否応でも目に入ってきます。これが現実です。

江戸は完全リサイクルの町でした。ゴミはゼロでした。樋口清之の「梅干しと日本刀」の本によると、人の大便も乾燥して金肥として売っていたというではありませんか。

明治から昭和の初めの頃、日本を訪れた外国人はみな一様に驚いたといいます。町にゴミがなく美しいと。日本人は何と清潔な国民なんだと。

今はそんな影は見るからもなく、都会も田舎もゴミが目立ちます。ゴミ処理など経済活動に役立たないことはなるべくやらないのです。儲からないことはやらないのです。

社会や学校は、自立自立とかまびすしいのに、経済活動からでた自分のゴミに関してそしらぬ顔でやり過ごしています。町に捨てられた缶や瓶、捨てられない核のゴミ、焼却灰どうするのでしょう。

さてさて、家の回りで特に多いのが川筋の肥料や農薬の袋です。風で飛び、あるいは捨てられ、川の藪に岸辺の枝に引っかかりへばりついています。

この景色、川の管理者や町の行政に関わっている人はどう感じているのでしょう。子どもの頃からここで暮らしている人達はどう感じているのでしょう。

家主は新参者ですが、心傷みます。このままでいいはずがありません。子ども達に故郷の美しい川を残して行かなくてはいけません。それが大人のすることです。

動物も植物もゴミを出しませんし、死して土に還るだけです。生きとし生けるもののうち人だけがゴミを作り、海を川を空を大地を汚しています。

自分達で汚したものは、自分達できれいにする、それがこの地球に生きているものの流儀です。

それにしてもこの肥料袋、ゴミの回収に出せないとか。自分でもっていく、それも有料だそうです。何たることか、だから捨ててしまうのです。だから拾わないのです。

そもそも、回収できないものを作ってはいけません。回収しないものを使ってはいけません。

ゴミの問題に、つい熱くなってしまう家主なのです。

高熱で焼き、フィルターを設置すればダイオキシンがでないというではありませんか。肥料袋はゴミ出しができる、1枚100円で買い取るぐらいの施策を、行政側は考えてほしいと思います。

ほたるも、もずくがにも、昔はたくさんこの川にいたというではありませんか。今でもほたるは見ることができますが、もずくがにはとんと見ることができません。

もずくがにの復活をめざして、川をもっときれいにしたいですね。

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   春の海ひねもすのたりのたりかな    蕪村

   春のゴミひねもす風に身をまかし     家主


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beluga

全く同感です。私も茨城県の筑波山の麓の古民家を改修しているところですが、過疎の村であまりひとけがないこともあり、畑には冷蔵庫や便器まで捨てていく人がいます。肥料袋もすててあります。日本人の礼節はどこに行ってしまったのか情けない思いがします。
by beluga (2012-04-29 16:29) 

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