ヤマガカシさんのいのち

近所のNさんの庭の山ツツジがお見事なので、見に行きました。よく草取りをされていて、庭を見ると、人柄もわかるものです。

見るだけでなくちゃっかり、株もとの山ツツジの小苗をもらいました。その時おきな草や熊谷草が咲いていて、わけてくれるというので、これももらってきました。

早速、ツツジとおきな草は日なたに、熊谷草は竹林に植えました。半日陰で風通しがよくしかも、風当たりのないところを選びました。

植えてから、株の様子を見がてら水やりです。熊谷草を見ようと裏庭の竹林を分け入りました。すると、かさかさっと音がするのです。いましたいました。ヤマガガシさんです。しばし休んでいたのでしょう、突然の闖入者に席を譲ってくれたのでした。しばらくは距離を置いてじっとしています。そのうち、音も立てず、うねうねと前に進んでいきました。この時は音無です。音を立てずに移動する、人にはできない術をもっています。

写真に収めて、そっとしておきました。ヤマガカシさんも、わが庭の住人です。大きな家族の一員ですから。

ヤマガカシさんの顔よく見てください。やさしい顔をしています。白蛇伝のように蛇はよく女性にたとえられます。妖艶な美しさをもっているからでしょうか。

ただ、ヤマガカシは毒をもっています。血清が少ないので、咬まれるとマムシよりもやっかいだとか。昔は毒をもっていなかった、マムシと交配して毒をもつようになった、などいろいろいわれていますが、はっきりはしません。

かの縄文人は蛇を崇めていました。なぜかというと、蛇は脱皮をするからです。脱皮は、すなわちいのちの再生です。いのちの生まれ変わりの象徴だったわけです。

お月様も同じです。お月様が三日月から次第にふくらんで満月になり、やがて欠けて消え、闇夜になる。再び三日月となって復活する、それもいのちの再生の象徴でした。

ですから、縄文人は蛇信仰、月信仰であったといえます。

さて後日、隣の土地の草刈りをしていたら、草株の根元でヤマガカシさんがとぐろをまいて休んでいました。同じヤマガカシさんでしょうか。危うく草刈り機で南無阿弥陀仏となるところでしたが、大丈夫でした。そのまま草を残しました。

ヤマガカシさんもわが庭でいのちをつないでいってほしいと思っています。何代にわたっていのちが引き継がれることを家主は願っています。

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