湿り気

空っ風生活圏に長い間暮らしていて、その後北国の雪の生活圏に暮らしてみて気がついたことがいくつかあります。

ひとつは、冬は乾燥の季節ではなく湿り気の季節だ、ということです。当たり前のことだと思うでしょうが、これは暮らしてみて肌で実感したことです。

北関東の赤城おろしの乾いた風は、身に染みるほど寒く、こたえたものです。それに2月3月には畑の土が舞い上がり、砂塵となって吹く日も何回かありました。そんな時は砂埃で遠く霞がかかったようになって洗濯物が干せませんでした。乾燥注意報が毎日のように出る、乾いた季節が冬でした。

ところが、ここは冬は湿り気の季節、乾燥注意報が出ることはありません。そのはず雪が降り雪が積もり、雪の中で暮らしているのですから、適度の湿度を保っています。風は刺すほど冷たいけれど、適度の湿り気はのどが痛いとか肌がカサカサになるなどということが少なく、のどにも肌にも適度の潤いがあります。

関東平野の乾いた風と北国の湿り気のある風、この差異は体だけではなく、心にもちょっとした影響があるのではないでしょうか。東北の人は粘り強いということも雪の湿り気に関係があるかもしれません。

おそらく人々の体細胞の奥深くまで湿り気がゆきわたり、文学(宮沢賢治、石川啄木、太宰治、寺山修司、三浦哲郎、斉藤茂吉、高村光太郎、秋田雨雀等)にも音楽(民謡、三味線等)にも神楽や芸術(棟方志功、舟越保武等)にも影響しているのでは、と思います。


もうひとつ気がついたことは、雪は暖かいから降るということです。不思議に思われるかもしれませんが、夏に雪はなく冬に雪が降るのですから、寒いから雪が降るということも事実ですが、それだけではありません。もうひとつの事実は、暖かいから雪が降るのです。それはこういうことです。

寒さがことのほか厳しい1月の大寒の頃、雪はそれなりに降っていたのですが回数も量も少なかったので、晴れる日があれば少し解けて、庭の積雪は10センチ~20センチほどでした。

ところが立春が過ぎたころから、日中も少しだけ暖かくなり日足も伸びてきたのですが、今度は冬型が崩れ、低気圧と高気圧が交互に日本列島に押し寄せてくると、雪が降る回数がぐっと増えてきました。

降っては解け、解けては降りを繰り返しながらも、降り積もる量が解ける量よりも多く、次第に庭の雪の嵩が増し、40センチ~50センチほど積もっています。おそらく、雪の嵩は今がピークでしょう。3月になれば、今度はお日様で解けるほうが多くなるのでしょうから。

今から、二万年前の最終氷期は、年平均気温が今より7度ほど低かったようです。日本列島は亜寒帯、凍っていてかつ乾燥していたといいます。

ところが一万年前の後氷期になると徐々に気温が上がってきました。すると雪がよく降るようになり、日本列島は冷・温帯の湿潤気候になったのです。暖かくなると雪が降る、寒すぎてはそうは雪が降らないのです。北陸から東北にかけて適度に寒く適度に暖かいから、世界有数の豪雪地帯となっているわけです。

三つ目は、北国の生活というものを考えたとき、一年は春夏秋冬の四つの暮らしがあるという分け方のほかに、雪のある暮らしと雪のない暮らしという一年を二分することのほうが、北国では自然に見合った暮らし方なのではと思えてきます。特に、木や草を見ていると、そう思います。雪がある休止期と雪のない活動期という暮らし方生き方です。

木や草に学ぶならば、これからの人間の働き方も、一年ずっと忙しく働くのではなく、大いに働く時期と、少しゆったりと働く時期とに分けて考えてもいいのではないでしょうか。

今まで働きづくめで、日本人に何が残ったのでしょうか。一生懸命に働けば幸せになる、幻想でした。資本の肥大化のための長時間労働、劣悪な労働条件は、不幸な社会を作るだけです。

拡大経済、その結果の格差社会から、縮小経済、そして均衡社会に向けて舵を切るとき、湿り気の雪の季節にはゆっくり休むという、草木に倣う生き方も考えていきたい、そう思う家主です。

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