北上川源流2

かつて、関東平野を流れる荒川と千曲川(信濃川)の源流を訪ねたことがあります。荒川は私の故郷の川、信濃川は父母の故郷の川です。標高2475メートルの甲武信ヶ岳(こぶしがだけ)の山頂より少し下がった東斜面に荒川の、西斜面に千曲川の源流がありました。源流と言っても川によって様相は全く異なります。荒川は、シラビソ林の荒れ地からその流れが嚆矢となり太平洋に注ぎます。千曲川は、林道のすぐわきの明るい林の小さな窪地から湧きだした小流れがやがて信濃川となり、日本海に下ります。同じ甲武信ヶ岳の山腹をその源にしながらも、生まれた環境も、川として育つ中流の風景も、たどり着く終着の海も違います。そういう意味で人の一生によく似ています。

北上川の源流はどんなところなのだろうか、想像をめぐらせながら中山高原駅から御堂観音堂を経て、ついでに沼宮内駅まで自転車を走らせることにしました。よく晴れた夏の日、旧奥州街道をゆきます。ほぼ下りの快適な道です。道すがら見渡す限りの高原キャベツ畑がうねる風景は、野辺山や嬬恋の夏のキャベツ畑の風景を彷彿させました。そういえば遠い昔、長野でキャンプしたなと思いだしながら。

途中、一戸町と岩手町の境に、奥州街道の御堂・馬羽松(みどう・まはまつ)一里塚がありました。道を挟んだ二つの塚の木陰と盛土が街道らしい雰囲気を作り出しています。中世や江戸時代、道中の人々や牛馬がここで高原の景色を前にして一服したのか、茶屋などもあったんだろうな、そんなありし日の感懐に浸りながら、さらに涼風を受けて下ると、御堂観音堂がありました。案内板によると境内に弓弭(ゆはず)の泉があり、どうやらそこが北上川の源泉ということでした。

お堂の急な階段を上った奥に大杉が立っていました。その根元の暗黒から北上川は生まれていました。源流というと山奥のイメージを持っていましたが、意外と街道脇の人里に近いところから湧き出ていました。北上川の源流は、奥州街道を行き来する旅人にも愛されたどこか人間の匂いのする泉だったのです。

さらに下って国道4号に出て無人の御堂駅に立ち寄り、さらに脇道に入り沼宮内城跡に寄り道して沼宮内駅にたどり着きました。暑い日でしたが高原の風がするりと体を吹き抜けてゆく気持ちのよい自転車日和でした。今度は馬渕川の源流が見たくなりました。いつの日か安家(あっか)森や袖山高原を訪ねてみたい。

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