冬の峠

この時節は、むやみに眠いのです。「暁を覚えず」の春眠とは違い、昼間にやたらと眠くなります。もしかしたら、体の奥底に眠っていた冬眠の遺伝子が目覚めるからなのかもしれません。

この地にかつて暮らしていた縄文人、彼らは冬眠をしていたのでしょうか。きっとしていたに違いありません。冬は大してやることがありません。服のほころびを繕ったりもしたでしょうが、雪が積もり、寒くてやることがなければ、人は眠たくなります。動きたくなれば動き、眠りたくなれば眠る、それが自然の理というものでしょう。一つどころに集まり、火を絶やさないようにしながら、おそらく交代で冬眠をしたのではないでしょうか。だれも証明できないものを、あれやこれや想像してみるのも冬の楽しみの一つです。

想像のもう一つは、時間の流れです。都会へ行くと、時間は速く流れています。街中や駅を人々は足早に歩きます。田舎にいると時間はゆっくり流れています。息せき切って急ぐ人はいません。では縄文の時代はどうだったのでしょう。ここよりずっとゆっくり流れていたのでしょうか。一説に時間の概念がなかったといいます。人類は書き言葉を得て、直線的な時間を獲得したといいます。今のように自然を対象化することなく、自然という額縁の中で、そこから抜け出すことなく暮らすという感覚はどういうものだったのでしょうか。田畑や野山が無人になる北国の冬は、そんな感覚を探るいい機会です。

連日、最高気温が氷点下で、冷凍庫の中にいるようです。凛とした寒さは、身も心も引き締まります。生活は縮こまりますが、今は内に向かう時期なのだと思うと、悪くありません。そういう日々があっていい、と思うのです。

庭の脇を流れる海上川は、両岸に氷を張りつめ川幅を狭めています。流れているのかいないのか、おとなしいけれども、氷雪の白帯を着飾り、きらめいています。

とうに野山の赤い実は目立たなくなっていますが、川岸にある漆の木々には、まだ金色の神楽鈴のような実が残っていて、鳥たちが群れています。近づけば、騒がしく鳴きながら一斉に飛び立ちます。漆の実は、冬の鳥たちのいくつものいのちを繋いでいることでしょうか。

立春です。寒さも峠に差しかかりました。冬は峠道をおりてゆくことになります。春を心待ちにしたいと思います。

月暦で言うと、今年は2月15日が大晦日、16日が正月の一月一日、3月2日が小正月になります。

冬まなか雪の岸辺の青空に漆の木々の実くきやかにあり
冬空のうす青くして半眼の月松山をひそかに上る
まっさらの雪踏みしめるうれしさよ われのうちにも清き雪あれ

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