縄文の栗

瓜食めば子ども思ほゆ、栗食めばまして偲ばゆ……の栗がおいしい季節になりました。粒の大きい栽培栗は早生品種が多く、9月にたくさんお店に出回ります。今は高く売れることが一番の世の中で、旬の時季をはずして果物や野菜は、早い時期に出回るのが当たり前になっていますが、昔はどうだったのでしょうか。冬に備えて晩生も多かったのではないでしょうか。

 旧暦の9月13日の十三夜の名月は栗名月とか豆名月とか言われますよね。今年で言うと10月30日。そのころ、昔は栗がたくさん採れたのでしょう。昔は栗の旬は秋の初めではなく、秋が深まる今頃だったことがわかります。

 庭にも何本か栗の木があります。大木は切られてしまって、切り株だけが残っていましたが、その近くに子どもの栗の木が若者になり、十数個の実をつけていました。また、土蔵の裏手には二、三十歳ぐらいの2本の栗の木が、たくさん実をつけていました。
 この栗はおいしい栗だと、いつも何かと面倒を見てくれるTおばさんが教えてくれました。山栗よりは大きいけど、お店の栗よりは小ぶりです。早速、栗ご飯でいただきました。上品な甘みが口いっぱいに広がりました。秋だなあ。お店で買わないで、庭で採れた栗の味覚で秋の深まりを感じる。贅沢です。

 縄文の昔、北東北は栗の大木がたくさんありました。栗やブナ、楢などの落葉広葉樹林が広がっていました。三内丸山遺跡の大きな塔には直径1メートルの栗の大木が使われていたそうです。山栗の中で大きくておいしい栗の実を栽培していたことも知られています。

 我が家の栗もおいしいから、もしかしたら縄文時代の栽培山栗のDNAを受け継ぐ、大きくておいしい栗の子孫かも知れません。そんなことを夢見ていると、縄文時代とつながっていて楽しくなってきます。この辺りが昔、縄文の里でしたから。

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