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6回目の月待ち

雲ひとつなく晴れ渡る秋の午後、十三夜の参加者が三々五々集まってきました。なんと穏やかな秋の日なのでしょう。ススキの白い穂がそよと揺れ、桂の黄葉がはらはらと舞い、染め上がった赤トンボが笊籠の上でじっとしています。今年は台風が多かったので、こんな秋日和の楽土が心にしみます。

やがて日が陰ってきました。すでに囲炉裏の周りに人が集まり炭火を囲んでいます。中座敷奥座敷でそれぞれが談笑しています。自ずと古民家に月夜の舞台が作られてゆきます。

その舞台に師や先生と呼ばれる人が立つと、たちまちのうちに空気は変容します。ピアノの音が鳴りはじめると、もう私たちは別の世界のただなかに立っているではありませんか。張りつめているにもかかわらず空気はやわらかく暖かいのです。

かつてショパンやベートーベンが感じたでしょう魂の震えを、200年という時空を超えて今感じています。今感じている心地よさは、大作曲家が感じた心地よさなのです。彼らがいた世界が立ち現れ、その世界と通じ合うことができます。それを繋いでくれた桂先生のピアノの演奏はすばらしい。私はクラシックに疎いですが、感じることができます。体の奥底に眠っていた何かが目を覚まし、喜んでいることを。

松林の裏に張りついていた十三夜の月は、すでに林を抜け、天空の表舞台に姿かたちを明らかにしています。煌々と照る月影。お月様もピアノの心地よい演奏に誘われてお出ましになられました。月と古民家とピアノと人が織りなす錦秋の時空にとっぷりと浸かる幸せなひと時をもつことができました。

古民家でのピアノ演奏という、決して条件がいいとは言えない中で、心を揺り動かす演奏をしてくださった桂先生に感謝です。良き人の周りには良き人が集まる、のごとく先生のお仲間たちは心優しい人たちでした。また、遠く東京や盛岡、八戸、九戸、一戸から来て下さり、地元からもたくさんの人たちが参加してくれました。お赤飯や南部煎餅、お菓子などの差し入れもたくさんいただきました。月見弁当、月見饅頭の仕出しのさとう、栄宝堂さんにもお世話になりました。いろいろな人たちの良き力が合い和し、総勢38人で6回目の十三夜を無事終えることができました。ここにお礼を申し上げます。

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谷地鬼剣舞

今年で3年目になりますが、はるばる130キロ余り、北上市から谷地鬼剣舞の踊り組み18名が下海上地区に来訪し、庭で鬼剣舞を舞いました。今年も晴れて天気は上々、赤トンボの舞う気持ち良い午後、変哲のない草地の庭は、お囃子や踊り手が揃い祖霊が帰る神聖な舞台として立ち上がります。精霊トンボに運ばれた精霊様が帰る聖地となりました。

笛や鉦や太鼓のお囃子が鳴り出し、ひざまずいた鬼に祖霊の魂がゆっくり入っていきます。お囃子の程よいところで、鬼たちが一斉に舞い始めます。すでに、鬼の仮面をかぶっている人が踊っているのではありません。鬼が踊っているのです。いや、鬼があるものに踊らされているのです。あるものとは何でしょうか。

能楽師の安田登によると、鬼という漢字は跪坐(きざ)する人が仮面をつけた姿で、仮面はただの扮装のための道具ではなく、仮面には本人の意志を超えて、舞を舞わせる力があるそうです。

鬼剣舞も同じです。魂の通り道になった鬼の体が、何ものかに踊らされます。飛び跳ね、廻り、足を踏み、刀を振るい、全霊で踊り終えた鬼はまたひざまずいて、そして息を整え、うなだれ礼をします。でもこれは礼ではありません。脱魂なのでしょう。

そもそも、北上市谷地鬼剣舞のみなさんとの交流は滝つながりでした。今から5年前に下海上の谷地大滝をきれいにする会を立ち上げて、荒れた滝周辺の藪払い、草刈り、桜の苗木植え、土入れ、道普請、東屋つくり、駐車場整備などを少しずつ進めてきました。3年前にその様子を新聞に取り上げてもらったところ、記事を見た北上市谷地鬼剣舞の佐藤さんから「きれいにする会」会長宛てにお手紙をいただきました。それがきっかけで交流の運びとなったのです。谷地大滝大明神が取り持つ縁というものでしょう。

今年も勇壮、華麗な素晴らしい踊りを見せてくれた谷地鬼剣舞のみなさんに感謝したい。若い踊り手も増えているとのことで頼もしいかぎりです。守るべきものは、山河と伝統なのだと、改めて思いました。

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夏休みの二つ

ニイニイゼミの鳴き声で夏休みが始まったが、もうウスバキトンボが飛び始め、夏休みの終わりが近いことを教えてくれています。

この夏休みに、二つの子ども行事を行いました。一つは箸作り、プラム工芸の五角箸作り体験です。先人が長い歳月にわたり育てたオノオレカンバの木、親子でその堅い箸材の磨きをし、焼きペンを使って模様をつけ、胡桃オイルを塗って仕上げます。時をくぐり抜けてきた古民家の元馬小屋で、北上山地の風雪に耐えて育った木と対話しながらの作業です。昔の時とつながっている今、昔の人とつながっている今、小学校の上級生ぐらいになると、今は昔と連続でつながっていることがわかり、時を感じ楽しみながら箸を作ることができました。

もう一つは七夕です。今は新暦の7月7日の梅雨のさ中にやりますが、本来七夕は、空も空気も澄む秋の行事です。旧暦の七月七日に親子で、短冊に願い事を書き、それを青竹に飾り付け、「たなばたさま」を歌い、カレーを食べて初秋の夕べを過ごしました。ちょうど雲間から舟形の七日の月が顔を出していました。やさしい光で地上のものたちをあまねく照らしだしています。

箸作りや七夕飾りに、時に真剣に向き合い、時に笑い楽しんでいる子ども達。兄弟げんかをし、小さい子の面倒を見、庭の花を摘み虫を取り、食器を運ぶお手伝いをする子どもたち。二つの夏休みの催しを終え、大人も子どもも、ここで寺子屋ができたらいいな、学校の教育の場だけではない学びの場、地方だからこそここかしこにそれが今ほしい、と夢想しています。

10月21日(日)、十三夜の月待ちをします。今回は、にのへ音楽院の桂史子先生をお迎えして、ピアノ演奏も楽しみます。詳しくはメールにてお問い合わせください。
メール:jomon.uzumakisha@gmail.com

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北上川源流2

かつて、関東平野を流れる荒川と千曲川(信濃川)の源流を訪ねたことがあります。荒川は私の故郷の川、信濃川は父母の故郷の川です。標高2475メートルの甲武信ヶ岳(こぶしがだけ)の山頂より少し下がった東斜面に荒川の、西斜面に千曲川の源流がありました。源流と言っても川によって様相は全く異なります。荒川は、シラビソ林の荒れ地からその流れが嚆矢となり太平洋に注ぎます。千曲川は、林道のすぐわきの明るい林の小さな窪地から湧きだした小流れがやがて信濃川となり、日本海に下ります。同じ甲武信ヶ岳の山腹をその源にしながらも、生まれた環境も、川として育つ中流の風景も、たどり着く終着の海も違います。そういう意味で人の一生によく似ています。

北上川の源流はどんなところなのだろうか、想像をめぐらせながら中山高原駅から御堂観音堂を経て、ついでに沼宮内駅まで自転車を走らせることにしました。よく晴れた夏の日、旧奥州街道をゆきます。ほぼ下りの快適な道です。道すがら見渡す限りの高原キャベツ畑がうねる風景は、野辺山や嬬恋の夏のキャベツ畑の風景を彷彿させました。そういえば遠い昔、長野でキャンプしたなと思いだしながら。

途中、一戸町と岩手町の境に、奥州街道の御堂・馬羽松(みどう・まはまつ)一里塚がありました。道を挟んだ二つの塚の木陰と盛土が街道らしい雰囲気を作り出しています。中世や江戸時代、道中の人々や牛馬がここで高原の景色を前にして一服したのか、茶屋などもあったんだろうな、そんなありし日の感懐に浸りながら、さらに涼風を受けて下ると、御堂観音堂がありました。案内板によると境内に弓弭(ゆはず)の泉があり、どうやらそこが北上川の源泉ということでした。

お堂の急な階段を上った奥に大杉が立っていました。その根元の暗黒から北上川は生まれていました。源流というと山奥のイメージを持っていましたが、意外と街道脇の人里に近いところから湧き出ていました。北上川の源流は、奥州街道を行き来する旅人にも愛されたどこか人間の匂いのする泉だったのです。

さらに下って国道4号に出て無人の御堂駅に立ち寄り、さらに脇道に入り沼宮内城跡に寄り道して沼宮内駅にたどり着きました。暑い日でしたが高原の風がするりと体を吹き抜けてゆく気持ちのよい自転車日和でした。今度は馬渕川の源流が見たくなりました。いつの日か安家(あっか)森や袖山高原を訪ねてみたい。

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北上川源流1

旧暦六月の満月だからでしょうか、赤トンボの羽化が一斉に始まりました。たぶんアキアカネだと思います。毎年、おそらく100匹以上の数の赤トンボが田んぼから湧いて出てきます。湧く、という表現がぴったりするほど、青年にまで育った稲のあちこちに、抜け殻に捕まった赤とんぼがじっと息をひそめています。近づけば、ひらひらとまるで蝶のように心もとなく飛んで、また近くの稲に捕まります。可愛いものです。この赤トンボのふる里が私の田んぼだと思うと、すこし胸を張りたくなります。全くの自己満足と言えますが。

思えば赤トンボのために苗消毒もせずに除草剤もカメムシ防除剤も撒かずに、お米を作っているようなものです。よく趣味だからできるんだよ、と言われます。その通りです。たかだか1反半ほどの田んぼだからできるのです。何事も魁より始めよ、で無農薬で米野菜を作り続けて4年目になりました。でもそのことによって、苦労も多いのです。田んぼではまずイネドロオイムシの大量発生です。苗を植えて2週間目ごろから、這い上がってきたドロオイムシが苗を齧ります。苗は黄色く白く変色し、絣模様になって、見るからに貧相です。ちゃんと育つのか心配になります。胡桃や空木の葉で虫を払います、何度も。そして、待ちます。ことを尽くして待ちます。そのうちに苗は元気になって、茎が分けつして青い葉が伸びてきます。そうなれば他の田んぼと遜色がないくらいになります。いつの間にかドロオイムシの姿も見えなくなります。成虫になったのでしょう。この後も穂が出るころにカメムシが、実りのころにイネコウジカビがつき苦労は続きますが、数はそう多くはなく、手でひとつひとつ取り除けば事なきを得ます。

さて、この里の空が赤トンボの群れで真っ赤に染まる風景を夢見て、日々、除草機を転がし、手で草を取り、その合間にドロオイムシを払う、そんな修業がひと月半続いた7月の半ばをもって今年の田草取りの目途がつきましたので、骨休めに啄木や賢治も親しんだ北上川、その源流を訪ねることにしました。(つづく)

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ヤゴ

稲田の草取りという「修業」が終わりに近づいています。6月の頭からほぼ一か月半、一日3時間ほど、雨が降り続いた翌日などはその雨の日の分も取り戻そうと、午前午後3時間ずつの6時間、田に入って草取りをしました。もしも、腰をかがめて泥の中を一歩一歩進んで草取りをする姿を俯瞰するならば、さながら田んぼにへばりついている奇妙な泥虫です。いつも田の上を飛び交い、木々を渡り合う鳥たちには、どう見えていたのでしょうか。不可解なことをする奴がいるもんだ、と思ったに違いありません。

それにしても田んぼは虫の宝庫です。地球の3分の2以上の生物の種が昆虫だと言われていますが、その縮図が田んぼにあります。いつも水が湛えられているからでしょう、いろんな虫が水の中に水の上に田の周りにいます。生き物のあまたのドラマが日々展開されています。田んぼに「通学」していると、その一部を垣間見、学ぶことができます。

今年もトンボのヤゴがたくさんに生まれました。黒っぽいヤゴ、薄緑のヤゴ、小さいヤゴ、長いもの、尾びれがついたものなど何種類かいるのですが、同定は難しい。毎年7月と8月に青いイトトンボとアキアカネとウスバキトンボが大量に発生します。そのトンボたちの旅立ちが見たくて除草剤を撒くことなく草取りの「修業」をしている、とも言えます。

野菜もそうですがお米の栽培は、稲の苗を一人勝ちにすることです。ヒエ、ホタルイ、シズイ、オモダカ、コナギなどの芽をひたすら掻き回し、その小苗たちを逐一抜いていきます。人の力によって稲を一人勝ちに近づけていく、それがお米の栽培というものです。

その一人勝ちの程度と方法ですが、私には完全な一人勝ちは性に合いません。除草剤を使わずにある程度の稲の一人勝ちを目指しているのですが、草は待ってくれません。雨後の筍と同じようにずんずん伸びます。わしわし広がります。暑いさなかの長時間作業、それも足を取られての作業は、かなり骨が折れます。骨身を惜しむわけではありませんが、田に撒いてもヤゴたちが安心して棲める除草剤がないものでしょうか。願わくば、誰か発明してくれるといいのですが。そうなれば喜んでその除草剤を使うでしょう。

やっと青年にまで育った今年の稲たち。夏の風に、まるで弦を引き鳴らすように、青葉を揺らしています。田んぼが心地よい音楽を奏でています。出穂も近づいています。

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夏野菜固定種

今年も種から夏野菜の苗を育てました。トマト5種、ナス2種、キュウリ2種、ピーマン、南部ナンバン、タカノツメ、オクラ、鶴首カボチャ、夕顔、ニガウリ、へちま、オクラ、ズッキーニ、青紫蘇、エゴマ、バジルなど、全部F1ではない固定種です。岩手県には伝統野菜の岩手みどり豆と黒豆の雁喰(がんくい)豆があり、それも畑に蒔きました。すでに双葉が出て30センチほどに育っています。

種は自家採取のものもありますが、買い求めたものもあります。畑が相当広くないと、他の種類と交雑しますので、自家採取はなかなか難しいのです。苗床やポットに種を蒔きましたが、青紫蘇とバジルの芽が出なかったり、野ネズミがカボチャの種とトマトの芽を齧ってしまったりして、蒔き直しをしました。その後は順調に芽が出て育ちました。

それにしても一粒の小さな種から芽が出て大きくなって実をつける、その生命力の偉大さにはびっくりします。ゴマ粒ほどの種から育てると、それが実感できます。伸びようとするいのちの力の大きさと言ったら、.それは驚愕に値します。農薬を使わなくても、野菜が種から育ち、実をつけるのを目の当たりにすると、いのちや身体へのゆるぎない肯定感が広がります。本来人の体だってそんなヤワではないはずです。野菜が薬漬けで育てられる社会は、人の体も薬漬けになります。種が遺伝操作される社会は、必ず人の体も遺伝子をいじくられます。人の脳の暴走に歯止めをかけ、「科学」との程よいつきあい方を知っていきたいものです。そのためにも自然から学ぶことはたくさんあるのです。

種は自然からの贈り物です。それに手を加えたからと言って、今はそれが当たり前になってしまいましたが特許を取って独占する、それは不遜なことです。人はそもそも種そのものは作れないのです。自然からの贈与であった種を人が少しばかり手を加えたからと言って勝手に種苗法などの法律で縛るのは納得がいきません。

また、昭和27年から種子法でずっと守ってきた優良な種、それが「自由」「選択」の名のもとに廃止され、種の保存が危うくなってきました。声高にあるいは執拗に自由や選択が叫ばれるとき、私たちは、その「自由」や「選択」を疑う必要があります。あるところから圧がかけられていることが多いのです。

「よいものはカタツムリのように進む。」これからも無農薬で、遺伝子操作されていない固定種の野菜を育てていきたいと思います。

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弁天島

田植えが終わりひと段落したので、目時(めとき)駅から電車に乗って鮫駅まで行き、そこで電動自転車を借りて、蕪島、鮫角(さめかど)灯台、葦毛崎(あしげさき)展望台、白浜、種差海岸、高岩展望台、弁天島、塩釜神社へ自転車小旅行に行ってきました。天気がよく、海風が心地よい一日でした。里山に暮らしていると、時々「潮のにほひ」のする町に行きたくなります。遠い記憶の中のどこか懐かしい海の匂いに包まれると、私の体は満ち足りたような安堵を覚えるからです。

最終目的地は弁天島ですが、曲り角を見落とし、そのまま通り越して塩釜神社まで行きました。そこから引き返して復路に弁天島に寄りました。ウミネコの繁殖地として蕪島が有名ですが、平日でしたその日も蕪島には観光客がたくさんいました。が、ここ弁天島には観光客はだれもいません。弁天島もウミネコの営巣地で、ウミネコが島を埋め尽くしていました。大きな海を背にして、小さな漁港の真向いにある三基の赤い鳥居、その上に広がる青い空。漁港の堤防の端に自転車を止め、みょうみょうと鳴くウミネコの声を浴びるように聞いていると、どこか遠い遠い世界にいるような気がしてきます。
東北大震災の時、弁天島の鳥居は津波で流され、その一部が7,000キロ離れたアメリカの西海岸に漂着したそうです。津波のエネルギーの大きさと、海は世界に通じていることを改めて思いました。

往復5時間、電車の時間もあり、のんびりゆったりとはいきませんでしたが、いい気分転換になりました。これから7月半ばまで、時鳥や郭公の声をBGMにして、草取りをする田んぼが待っています。

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田仕事の鐘

ツツドリやホトトギスが鳴き始め、三つ葉空木や藤が咲き始めました。鳥や花たちが、北国ももうすぐ田植えですよ、と教えてくれています。

旧暦の四月一日、卯月の始まりの日に田に水を入れることにしました。用水路からではなく、小さな川から直接水を引いているので、手間がかかります。パイプを補修し、つなぎ合わせ、砂袋でパイプを押さえ、水路を掘り直し、再び水が川に戻るように出口も確保するなど、いろいろとやることがあります。5月末の田植えに向けて粛々と準備を進めているところです。

田んぼの周りの山の緑が一斉にふくらみ、畔に春の草草が伸びてきました。あふれる緑に囲まれ深呼吸をします。いのちがふくらむほどいい気分です。いよいよ今年の田仕事が始まります。体の内なる鐘つき堂の鐘が鳴り出しました。

今年の米作りはどうなるのでしょうか。台風や大雨、ドロオイムシ、カメムシ、ヤマドリ、赤トンボ、蛙、ヤゴ、蜘蛛、浮き草、アオミドロ、それにいろいろな田草たち。どんな出会いとなるのでしょうか。よいことも悪いことも想像を超えた出来事が、毎年田んぼに起こります。時間や気持ちに余裕を持って、焦らずに「のうがみさま」と楽しめたらいい、と思います。

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春のよき日に

気持ち良い春の朝です。風のおだやかなほっこりいい天気の中、6年目がオープンしました。午前中は、みんなでお昼の準備をします。台所でにぎやかにおしゃべりしながら定番のひっつみを作り、おにぎりをにぎります。いつものひっつみとおにぎりの味に舌鼓。これがいいのです。いつものおいしさに安心感が広がります。さくらんぼや紫木蓮や水仙の花が満開です。タンポポやオオイヌノフグリやスミレやアズマイチゲやエンゴサクやカキドオシやイヌナズナなど、庭の花々たちに迎えられ、6年目の縄文のうずまき社が動き出したことをうれしく思います。6年目ですか、早かったとも言えますしゆっくりだったとも言えます。

それにしても、少しずつこの土地に家に水に、私の体が馴染んできた気がします。植えた時は苗木だった桜の木が若木になって、花を咲かせています。山野草も株を大きくして花芽をふふませています。年月は移ろい、家も庭も風景も前に進んでいることを改めて思い知るのです。

旧暦の三月十六日は米粉のお団子をお供えし、のうがみさま(農神様?)を迎える日です。のうがみさまが山から種を持って里に下りていらっしゃる。これから旧暦の九月十六日にのうがみさまがその年の収穫物の種を持って山へ帰るまで、のうがみさまとともに里で米作りをします。米や野菜作りは、のうがみさまとの共同作業なのです。今年もよろしくお頼み申します。

「よいものはカタツムリのように進む」(インド独立の父、マハトマ・ガンディー)
今年もゆっくりを心掛けて、春風の中、颯爽と動き出すことにしましょう。

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6年目オープン2

ひと雨ごとに雪が消えて、水の分子が溶け出し、春が動き始めました。凍っていた天地が春になって、ほどける、という言葉がぴったりの感じで、土はぬかるみ、草木は芽をだし、鳥はしきりにさえずります。田畑の準備で、家の前の農道を軽トラやトラクターが盛んに行き来しています。人も動き出しました。一旦動き始めると、天地も人事ももう止まることを知りません。夏に向けて加速していくばかりです。

庭のフキノトウが顔をだし、福寿草、クロッカス、アズマイチゲ、キクザキイチゲが咲き、木蓮や桃や桜のつぼみがだいぶふくらんできました。私の夢や希望は、輪郭が定まらぬ茫洋としたものですが、つぼみがふくらむとなんとなく夢や希望もふくらんでくるようで、春はうれしい。

電線に引っ掛かりそうな枝を伐り、生垣を整枝し、石をどかし、薪を割り、枯草を焼く。冬に歪んだ庭を整えていると、もう日が暮れかかる時刻です。

私の中では、ひたすら嘘をつき、ひたすら隠ぺいする邪悪なものの対極に、花はあります。春の花が咲き乱れる庭や野山を思い描きつつ、今朝も庭仕事に出ます。

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縄文のうずまき社  6年目オープン

2018年4月22日(日)<旧暦三月七日>10時オープン   
10時:オープン  12時:昼食  午後は百人一首をします。
参加希望者は、4月20日までに連絡ください。参加費300円。

開社日時:  西暦4月22日(日)~11月10日(土)
<陰暦三月七日~十月三日> の10時~16時ごろまで。
土間、座敷、囲炉裏の間、巨木の庭など公開しています。田畑に出ていることが多いので、事前に連絡してください。
 
・戸(へ)の月の会を作り、旧暦九月十三日に十三夜のお月見を楽しんでいます。一緒に十三夜の月待ちをしませんか。今年は10月21日(日)に開催します。七夕は8月17日<旧暦七月七日>です。
・カワイイ伝統食の会を開いています。伝統食に興味のある人はお知らせください。
・無農薬、自然栽培のお米、固定種の野菜、そば、高キビ作り、栗子農園に参加しませんか。
・下海上の谷地の大滝、海上川(金田一川)の環境整備を一緒にしませんか

開社日時 西暦4月22日(日)~11月11日(土)
<陰暦三月二十七日~九月二十三日> の10時~15時まで。
土間、座敷、囲炉裏の間、巨木の庭など公開しています。田畑に出ていることが多いので、前日までに連絡ください。   
 
メール:jomon.uzumakisha@gmail.com

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6年目オープン

           
            縄文のうずまき社  6年目オープン
2018年4月22日(日)<旧暦三月七日>10時オープン   
10時:オープン  12時:昼食  午後は百人一首をします。
参加希望者は、4月20日までに連絡ください。参加費300円。

開社日時:  西暦4月22日(日)~11月10日(土)
<陰暦三月七日~十月三日> の10時~16時ごろまで。
土間、座敷、囲炉裏の間、巨木の庭など公開しています。田畑に出ていることが多いので、事前に連絡してください。
 
・戸(へ)の月の会を作り、旧暦九月十三日に十三夜のお月見を楽しんでいます。一緒に十三夜の月待ちをしませんか。今年は10月21日(日)に開催します。七夕は8月17日<旧暦七月七日>です。
・カワイイ伝統食の会を開いています。伝統食に興味のある人はお知らせください。
・無農薬、自然栽培のお米、固定種の野菜、そば、高キビ作り、栗子農園に参加しませんか。
・下海上の谷地の大滝、海上川(金田一川)の環境整備を一緒にしませんか。

開社日時 西暦4月22日(日)~11月11日(土)
<陰暦三月二十七日~九月二十三日> の10時~15時まで。
土間、座敷、囲炉裏の間、巨木の庭など公開しています。田畑に出ていることが多いので、前日までに連絡ください。   
 
メール:jomon.uzumakisha@gmail.com

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