軒端(のきば)の風景

 この夏は雨が多く、晴れていても夕方雷を伴ってよく雨が降ります。そんな時、我が家は軒が大きく張り出しているので、少しぐらいの雨が降っても軒の中は濡れることがありません。広縁も軒の下の外回りも軒のお陰で雨よけの安全地帯になっています。戸を開け放しても広縁に雨は入ってきませんし、家の外回りも雨に濡れることなく歩けます。家主には初めての経験なので、こんな空間があるのかと新鮮な感覚を覚えます。

 今まで住んでいた家は雨が降ると家の中に雨が吹き込むので、すぐに雨戸を閉めてしまいました。いわば雨を嫌い雨を閉め出したのです。拒んだわけでもないのに結果として、自然との対話を拒む格好になったわけです。ところが、古民家は違いました。いつでも雨と話ができるのです。それは大きい軒があるからです。

 そもそもの日本の家はかっきり外と内というように区切るのではなく、内でもない外でもないあいまいな空間がたくさんあることがわかります。いや、このあいまいな中間的な空間があるのが、もともとの日本の家なのです。
 それは自然に対する日本人の考え方そのものなのでしょう。自然は征服する対象ではなく、ともに仲良くする仲間です。古民家に住んでいると、自然とともに、自然と対話しながら暮らしていた昔の日本人の生活ぶりが見えてくるのです。

 軒のお陰で雨の日に、家回りを歩きながら雨の降り様を見、空を見上げ、立ち止まってはまた雨模様を見、と濡れることなく雨と向き合うことができます。
 少しぐらいの雨でも雨と向き合い、仲良く話しができるのです。雨と向き合っていると、いろいろな考えや思いが浮かんできます。来し方行く末のことに思いを馳せ、また今日の出来事に思いを巡らす、そんな雨の一日もなかなかのものです。

 夏の夕立、屋根から雨だれが規則的に落ちていきます。落ちても落ちてもまた落ちてくる雨、止めどもなく落ちてくる雨水。水はどこから来てどこへ行こうとしているのでしょうか、果てのないこの宇宙エネルギーの動きの一端を見ているのは気持ちがいいものです。

 これからも軒端越しに、雨を、風を、雲を、雪を、月を、星を眺め、自然と対話をしていきたいと思います。そして軒端の風景からも壮大な宇宙エネルギーの少しをもらいうけ、つましく暮らしていけたらと思います。

          「笹の葉さらさら 軒端に揺れる  お星様きらきら 空から見てる」

           (七夕は本来、秋の行事だったのですが……。)

           PDR_0305.JPG

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