死と再生

 今年は旧正月(旧暦の1月1日、西暦2月3日)が節分で、1月2日(西暦2月4日)が立春でした。立春が過ぎ、昨日から二十四節気の雨水の候に入ったので、いくぶん春めいてきました。旧暦の睦月は家族が寄り集まり仲むつまじく過ごす月です。そこで今日は、家族について思うところを書いてみました。

 農業国から工業国へ、戦後の日本は大きく舵を切りました。それに伴って家族の形態も、何世代にも渡る大家族から核家族へと移りました。農業は家族の協力無くしては成り立ちません。家族が共に助け合う、そういうことがごく自然に生活の中の当たり前としてありました。

 でも日本は工業国になり、家族はみな外へ働きに出るようになります。自立だ、自己実現だ、個性だ、男女平等だ、と男も女もこぞって外に働きに出ました。農村から都会へ多くの若者が働きに出ました。
 その結果、家族生活の中に協力は必要なくなりました。生活の中から生産活動が消えてしまったからです。協力は無くとも賃金は得られ生活は成り立ちます。少なくとも、生計が成り立つとうい点ではそういえるのではないでしょうか。

 仮に家族とは「ある大きな目的を達成するために、一人一人がそれぞれの夢や思いを持ちながらも、決して一つにまとまることはないが、一つにまとまろうと努力する集団」だと規定したとしましょう。そうすると農業では生産のために家族はまとまる必要があったのに、工業ではどうでしょう。生産のために家族はまとまる必要がないのです。みんな外へ働き(生産)に行くのですから。生産家族から消費家族へと変わっていったのです。ここに家族の崩壊の根があるように家主には思えてくるのです。消費でまとまる集団は弱いのです。生産という大きな目的がないのですから当然のことなのでしょう。

 また、農業は自然相手です。たとえばお米は年一度しか作ることができませんから、労働に自然という箍(たが)が嵌め込まれていますが、工業は機械の発達によって止めどもなく生産性の向上が追究されました。だから法律によって労働に箍(たが)を嵌めていたのですが、あの「国際競争力」云々によって体(てい)よく労働の「規制緩和」がなされ、箍(たが)がはずされてしまいました。生活のほとんどを労働が占め、家庭生活を食いちぎり急速に家族が崩壊していったのではないでしょうか。
 そして一人暮らしが増え、もう家族の体(てい)をなさなくなっています。家族は崩壊から「死」へと向かっているように家主には思えるのです。

 でも死はそこで一旦は完結しても、やがて再生へ動き始めます。旧暦(太陰太陽暦・月暦)を知って月の文化を知った今、家主は「死と再生」はセットなんだと思うようになりました。家族は死んでまた、生まれ変わる、そう思います。

 今日は月暦の1月18日です。遠い昔、日本人のほんとうのお正月だった小正月が過ぎたばかりです。正月は一年が死んで新しい一年が始まります。それに伴って、人もまた、生まれ変わります。そんな「死と再生」の正月にあたって少しばかり家族の再生について考えてみました。

 新しい形での家族の再生はどんな家族の形になるのでしょう。それはどんな形にせよ、生産と結びつくことなくして成り立たないのではないでしょうか。人類は生産の中で家族という形を発展させてきました。消費家族がこのままずっと続くとは思えません。

 かつて家族のまとまりの中心であった囲炉裏。一日の生産労働を終えて、家族の団欒の中心にあった囲炉裏。その囲炉裏のある古民家で、家主も家族の新しい形の再生を願っています。

            PDR_1222.JPG
            PDR_1192.JPG

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

旅のひと荒ぶる神 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。