雪の贈り物

北国の冬は長く、この地ではおよそ12月から3月まで冬が居座ります。12月には農家は、田んぼや畑仕舞いの片づけ、それに冬仕度の準備で忙しく働きましたが、1月も半ばを過ぎると、冬の生活も一段落するというか、落ち着いてくるというか、ぽつぽつ時間が浮いてきます。

農家の人たちは、春夏秋こぞって朝の5時前から働いていますし、家主も草刈りや何やかやで用があって、のんびりと過ごせる冬時間は心にもゆとりができていいものです。

冬は寒さや雪の大変さばかりが強調され話題に上りますが、いやいや、このゆったりとできる冬時間はなかなかのものです。都会では味わえない、おいしい田舎時間といえます。

この冬時間をいつのころからでしょうか、無駄とか暇とか言ってないがしろにしてきたし、そんな時間があったら、働けといわんばかりに経済活動に組み込んでいったのは。経済には暇や無駄はあってはならないのでしょうが、人間にとっては、暇も無駄も大事なひとときです。

でも現に、昔よりずっと教育や生活にお金がかかるようになって、農家だけの収入では足りず、冬も出稼ぎや賃労働にでなくてはならない家もたくさんあるわけです。農家ではやっていけないので、子どもたちは都会や街中に出て働いている、という家が圧倒的に多いのです。

お金のため生活のために稼がなければならないのですが、考えてみれば生活や教育にそんなにお金がかからなければ、あくせく働く必要がないのです。お金のかからない社会システムの構築、政治家がそこを真剣に考えて実行してくれれば、長時間労働も、共稼ぎも無理してやる必要はないのです。そんな政治家が現れないかな、そうなれば冬休みはは長期の休み、そうですね1か月ぐらいあってもいいですね。みんなが交代で休めば支障がないはずです。

お金のかからない社会システムの構築が、まあ、たわごとですけれども、このゆっくりゆったり時間をみんなが味わうことができる道です。年何パーセントの経済成長だけが日本の進むべき道ではないですよね。発想を変える時が来ているのではないでしょうか。

でも、現実においしい田舎時間は田舎にもなくなりつつあります。現実現実ばかりじゃ、夢がないなあ。

消えゆくものになぜか愛着を感じる家主ですから、この田舎時間を楽しもう、ということで縄文のうずまき社に近所のお母さんたちに集まってもらって、月に2回程度ですが、冬季限定お茶会をすることにしたのです。

こののんびりゆっくりの冬時間、考えてみれば雪国の人たちにくれた雪の贈り物です。雪のおかげでゆっくりとくつろげる時間が持てたのです。贈り物はありがたく受け取り、中身を開けて楽しもうと、先日は9人で漬物やお茶菓子を前に3時間も無駄話をしました。

屈託なく笑いあいおしゃべりをしていますが、何しろ言葉は、南部弁。家主には話の大筋はわかっても、半分くらいはわかりません。話半分、あまり話に突っ込まず、というか突っ込めず、それでいいのだと思っています。

そして2月24日の小正月行事も話題になりました。餅や汁物の準備をするのは、実際はお母さんたちですので、いろいろと段取りを立て分担をしてくれそうです。

お茶会が終わった夕方、まだ太陽は西の空にあり、雪が解け、ぼたぽたと雫が屋根から落ちていました。大分日足が伸びてきました。

でも、明日からまた、寒さが戻るとのこと。暖かくなり寒くなり、それを繰り返しているうちに、2月10日の旧正月が近づいてきました。そうなれば、春は名のみとはいえ、春が見えてきます。

春になる前に、もうしばらく冬の贈り物をありがたく押し頂いて、のんびりゆっくりの時間を享受したいと思います。


効率を溶かして雪が降り積もる ゆっくりゆるく人も車も

二本立つ巨木の守る古民家の土間に今年も雪の靴あと

            IMG_2641.JPG
            IMG_2680.JPG
            IMG_2702.JPG
            IMG_2649.JPG





nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

箕(み)に魅せられて初夢宝船 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。