八戸、種差(たねさし)海岸早春賦

 こんなにも穏やかな海は久しぶりです。この前来たときは、寄る大波が岩礁に激しくぶつかり、どどーんとまるで大砲のような音が絶えず海岸に鳴り響いていました。
 今日は海が凪いでいます。穏やかな海です。普段は暴れん坊なのにまるで手なずけられたもののように北の海は押し黙っていました。

 かつて、家主は松島から久慈までのリアス式海岸を旅したことがあります。眼下に海を収めながら、国道45号線をひたすら北へ北へと車を走らせました。
 1年間のスケジュールがあらかじめ決まっている日々の生活から離れて、たまにはふうてんの寅さんの旅がしてみたくて、「その日の宿は風まかせ、宿が見つからなくれば車に泊まればいいさ。」と思って、宿の予約なしの旅をしました。心細くもありますが何という解放感でしょう、そして何より心がうれしがってはしゃいでいるのに気づきました。
 予定に縛られないで地図を広げ、足のむくまま気の向くまま見たいところを見て寄り道をし、休みたいときに休み、三陸海岸をひたすら北上しました。自由気ままな一人旅、旅は本来こういうものだったのでしょう。
 岬から、松の岩山から、切り岸から、港から、小さな砂浜から、漁村から、時には遊覧船から、たったの5日間でしたが、朝な夕なにリアスの海を眺めていると、風光明媚で海の幸に恵まれているリアス式海岸と、仲良くなれた気がしました。かつて地理の時間に習ったリアス式海岸の何たるかが見えてくる気がしました。 
 海と陸とが時にはせめぎ合い、時には恋し合う様を心のフイルムに焼き付けることができた旅でした。
                  
 その三陸のリアス式海岸の終着駅がここ青森県の種差(たねさし)海岸でしょうか。目の前の種差海岸は、春の海にふさわしく「ひねもすのたりのたり」ののんびりとした律動の中にあります。波があるのかないのか、潮が動いているのかいないのか、ウミネコが波間にゆったりと浮かんでいました。

 種差海岸は逍遙にふさわしい場所です。いつも海がありながらもいろいろな景色がゆっくりと移ろい飽きることがありません。天然芝、松林、キャンプ場、漁港、岩礁、砂浜、小川、八戸線、灯台等、海に属した景色がゆるりと移り変わり、同じ風景が長くは続きません。カメラをゆっくり回すように移ろってゆきます。今日は、どの景色も春の日差しを浴びて海に溶け込んでいるようです。
 コウモリ岩の日だまりには、白雪の上から福寿草の花が黄色い顔を出していました。アカゲラでしょうか、赤い帽子をかぶったキツツキのつがいが、春が来たよとせわしげに黒松の幹をこづいていたかと思うと、向こうの林に飛び去っていきました。
 地元の人でしょう、まつもやわかめ、ふのり、岩のりなどの赤や緑や茶など色とりどりの海藻を楽しそうにおしゃべりをしながら採っていました。

 そんな春先の、人もまばらな種差海岸を潮風に吹かれながら、考えるともなく考え、思うことなく思い、そぞろ歩きを楽しんでいると、それだけで幸せな気分が満ちてきます。早春ののどかな一日、平安に包まれている海岸がありました。

 天然と人工がほどよく混ざり合い溶け合っている種差海岸。風景は海に広がり、芝生に開かれ、松林に続き、港に寄り、砂浜を抜け、灯台の向こうに延びている種差海岸。 家主の好きな散歩道です。
          PDR_1434.JPG
          PDR_1442.JPG
          PDR_1411.JPG

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。