三重人格

北国でひと冬を過ごし、また、この地の四季をひと巡りして、自然を体感し観察して思うに、自然は、穏やかな自然と、いつもの自然と、荒れ狂う自然の三層があるような気がします。

早春の花が一斉に咲く、風のないのどかな春の日中(ひなか)、行く春のころの妖艶な空気に包まれる晩春の夕暮れ、風そよぐ晴れた初夏の朝、茜色の空が広がる秋の夕焼け小焼け、小春日和の初冬などは、穏やかな自然がそこにいます。

反対に、春の嵐、豪雨、夏の酷暑、台風、冬の吹雪く日などは荒ぶる自然がそこにいます。

それとごく普通の日々、雨が降ったり晴れたり曇ったり風が吹いたりのいつもの自然がいます。

そう、自然は三重人格の持ち主ではないでしょうか。言いかえるならそれは、自然の持つ聖と俗と穢れであり、別の面から言えば、神と人と獣への変化(へんげ)とも言えるでしょう。

時には自然は神になり、時には獣にもなる、自然が獣になって荒れ狂った時は、もう人の力ではどうすることもできません。あらがわずに去っていくのをじっと待つだけです。やり過ごすだけです。祈るだけです。

この三つの顔をもつのが自然であり、三つの人格を行き来するのが自然だと思います。

三重人格、それがもしかしたら自然の正体なのかもしれません。いやいや、自然の一部である人間も、本質的には三重人格なのかもしれません。

人格は統一してはいけない、というではありませんか。統一できないものを統一しようと思えば、おかしくなります。破綻してしまいます。そのままを、受け入れればいいのです。そのままの自然を、そのままの自分を、受け入れるのです。そうして縄文の時代から、この地で、人々は暮らし、命をつないできたのです。

いよいよ荒れ狂う自然から、穏やかな自然がちょくちょく顔を出してくれる春の季節到来、ということになります。素直にうれしいですね。

冬が来て雪が積もり、吹雪くときもあり、やがて春が来て雪が解ける。雪ののちの劇的な春の到来、白から緑の世界への急展開、それを家主に実感させてくれる北国の春は、ことのほかうれしいものです。

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