2017サイトギ

どちらかというと太平洋側の山里なので、立春が過ぎるとよく雪が降るようになります。よく雪が降るようになると、恥ずかしがり屋の春はどこか近くにやってきています。姿を見え隠ししながら、緩やかな雪の山坂道をゆっくり下りてきます。止まることはありません。駆け出しもしません。生まれたばかりの春ですから。

冬に眠っていた春は、いつ目覚め、歩き出すのでしょう。先日、雨交じりの雪が降りました。凍てついていた空と大地に、少しく水が動きだします。空も大地も草木も、わずかな水の巡りを察知して、目を覚ますのです。

昔、日本人は、自然の内側で仲の良い家族のように、自然とともに暮らしていました。だから、寝ぼけまなこの春を、早く起きてと、揺り起こしました。揺り起こせば、自然は応えてくれることを知っていましたから。その春の催しの一つが、月と炎の祭典、サイトギです。

伝承によると、400~500年前から続いているということですが、毎年旧暦の一月六日に行なわれるサイトギに、今年も行ってきました。厳しい寒さの中でした。祭りの最高潮は、水をくぐった白装束の男衆が、棒でやぐらを叩くところです。炎が火柱となって大きく上り、火の粉がぱちぱちと花火のように散ります。火の粉は風に乗って霰となり周りの人に降りかかります。六日のおぼろ月が、立ち上る炎のゆらめきをじっと見ていました。

白い雪、それに男衆の白い、足袋に鉢巻きに晒しに含み紙に紙垂(しで)。白は再生の色でもあります。月と炎と男衆の三者によって、春の再生の舞台装置は整い、春は再生しました。今年も豊作のご託宣があり、まずはめでたしめでたしの幸先のよい出立です。いい年でありますように。

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風景

連日氷点下の朝です。最高気温が氷点下の日もあって寒いのですが、6年目にもなると、体が北国の寒さに慣れてくるから不思議です。関東にいたころと、真冬の体感はそうは変わらない気がします。適応というのでしょう、人の体は大したものです。もっとも家の中にいることが多いかもしれないですが。

寒い中に思うことがあります。それは、この地に暮らしていた縄文人は、どうこの寒さをやり過ごしていたのだろうか、ということです。
「子どものころ、風の強い夜には板戸の隙間から雪が入ってきて、朝目覚めると、枕元に雪があったもんだ」なんていう話が、今でもあるくらいですから、縄文の大昔のこと、服も布団も決して今のように暖かいものはなかったはずで、どうやって冬は暮らしていたのか、と思いをめぐらします。

想像するに、彼らは寒さにわなわな体を震わせ、顎(あご)をがちがち音立てていたわけではない、と思います。快適とまではいかないけれど、工夫を凝らし、不快を取り除くことに努め、それなりに温かく暮らしていたのだと思います。根拠はありません。けれど、いろいろ工夫して暮らすのが人間ですから。焚火、毛皮、木の皮、草の布団、洞穴、雪室、地下室等、ああだこうだと縄文の冬暮らしを想像してみるのも楽しいものです。

縄文人がかつて再生を願った神の山、神の川、神の広場。彼らの風景は、今は時の褥(しとね)に包まれて静かに眠っています。そのしづもれる風景を、山並みのように連なり、川のように蛇行する時の流れに乗って見ています。いつか、彼らの再生観を普遍的無意識の井戸から汲みだそうと。

                  歌 ♪ 風景 ♪  

            あの山が 縄文の 神の 山よ
            人生まれ 人は 逝きて
            魂の 還りぬ  山

            その下を 流れる 神の 川は
            その昔 カムイチェプ(鮭)が
            群れを成し 上って きた

            この場所が 聖なる 神の 広場
            日が暮れて 月が 出れば
            歌い踊り 祈った ところ

            月は 上り 日は 沈み 時を 刻んで ゆく
            日は 上り 月は 沈み 時は 流れて ゆく

            そして いま あなたと ここに立つ 不思議

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