旧正月

明けましておめでとうございます。

小寒大寒の、寒さの頂きを越え、旧正月を迎えました。これからは、寒さが一つまた一つ、休憩をはさみながらも和らいできます。西暦の正月のように、この先大寒を迎えることがないので、春はいまだ小さいけれど、「新春のお喜び申し上げます」が実感を伴って、心と体に届いてきます。と言っても、寒さがここしばらくは居座るのが北国ですが、ピークはこの先にはなく、これからは、あえかにも確かな春の兆しが、雪景色の中に見え隠れすることでしょう。たとえば、雪野原に落とし映された木々たちの影。冬の間は固く締まっていた灰色の影が、しだいに水色をにじませ、小さく揺れ始めるように。

霜降の頃から冬に備えて、構えを作り覚悟を育て、私という汽車は冬を出発しました。大寒を乗り越え、ここまで来たものの、冬寒の覚悟には賞味期限があり、冬構えの効力も期間限定と言えます。
立春が過ぎて寒中ほどの寒さではないと言っても、寒さは続きます。長さゆえに寒さに飽きがくると、構えの車輪が軋み、覚悟のネジが緩んできます。それは、北国の寒さが長いからでもあるし、私が北国の新米の汽車、だからでもあります。ですから、寒さの中に春の兆しのいろいろを見つけ、また今年の農事や催しの「作付け」のあれやこれやをめぐらし、しばらくは雪景色を楽しみながら、ゆっくり走っていこうと思います。今年もよろしくお願いします。

先日の冬季限定お茶会で、今年も地域の小正月行事をすることになりました。2月12日(日)<陰暦一月十六日>11時から14時まで、縄文のうずまき社で、お雑煮を食べ、カルタやどっぴきなどのお正月遊びを地域のみなさんと楽しみ、春をお祝いします。

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白い世界

雪の世界がやって来ました。春が来るまで、ここしばらくは白い世界になります。白は白装束など死の世界の色ですが、それは同時に再生の色でもあります。死はそれで完結しているのではなく、再生と一対をなすものです。死と再生、それは同意反復語です。

雪が降るということは、自然宇宙が、やがて来る再生の季節、春の舞台準備に取りかかったということです。だから、雪が降れば降るほど、再生の層の厚みが増し、雪が積もれば積もるほど、再生の井戸は深くなります。

雪の結晶は六角形で、この形は空気を含み音を吸収しやすくします。雪は、風景を包み音を包みこむ、白い魔法のマントです。不思議にも、雪解け水も六角の組成を持ちます。H2Oの分子が六つ、仲良く手をつないでいるのです。この六角水は、エネルギーに充ちた水で、植物の発芽を促し、鶏の産卵率を高めることがわかっています。雪解け水は、いのちの再生の水といえます。ところが惜しいかな、六角水の形は、そう長くは続きません。数日でつながれている手をほどき、エネルギーを外に放ってしまいます。まるで恥ずかしがり屋の子どもように。

雪解け水が潤沢に流れる春。再生の舞台の幕が開かれるまで、無音の世界が広がる雪野原を前にして、この世の人の在りようを考え、静かに安けく春を迎え待つことにしましょう。今は遠く離れた、恋人との再会を待つように。

昨日は陰暦十二月の満月でした。き-んと張りつめた夜気に、体を震わせ空を見れば、高みに上る冴え冴えとした月影。大寒のころに似つかわしい夜空です。師走も後半になり、陰暦の年の暮、大晦日が近づいています。 


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