手入れ

気温がなかなか上がらないと思っていたら、陰暦閏五月に入って徐々に高くなり、ここにきて猛暑の日が続いています。

寒くて元気が今一つだった稲の苗は恢復し、絣模様の葉は目立たなくなりました。渚は青田の海となり、夏の風が青いさざ波を立てています。一面の青い鍵盤が、軽やかな夏のメロディーを奏でています。

ひと月ほど毎日田んぼに通い、草取りの日々でしたが、先日4回目の除草機をかけ終わり、草取りの山を越えました。中干しは、ヤゴのために水たまりを残しました。その後たっぷりと水を入れ8月の出穂を待ちます。

イトトンボの羽化が始まりました。これから8月にかけて、アキアカネやウスバキトンボが一斉に羽化します。源氏ボタルが舞い、平家蛍も舞います。水辺の生きものたちが親になる季節がやってきました。

先日、夏の恒例の行事がありました。早朝5時、水源地に通じる林道の草を部落総出で刈り取ります。暑さの盛りの草が勢いよく繁茂するこの時期に、田も水源地も人の手が入ることによって、維持され受け継がれています。

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三陸鉄道北リアス線

人生の縮図のように、山あり川あり海ありトンネルあり平地があります。高い橋もあります。野田村の人たちと久慈から宮古まで、三陸鉄道北リアス線のお座敷列車に乗ってきました。今年で3年目の交流です。
東北の震災から7年目、いまだ傷は癒えず復興途上ですが、野田村の人たちも前を向き、歩み続けています。大きなことはできませんが、これからも忘れることなくつながっていきたいと思います。

車窓から見える風景の程よい移り変わり、色を濃くし始めた緑、青く明るい海、早苗植え渡す青田にアオサギ、こじんまりまとまった集落の佇まい、緑に青の映える季節の片道1時間半ほどの鉄道の旅も、のんびりいいものです。

帰ったら田の草取りが待っています。今年は低温が続き、苗に元気がありません。イネドロオイムシが大量に発生しました。苗消毒をしていないので、止む負えないことですが、自然は複雑で人知を超えていて一筋縄ではいきません。毎年毎年自然の相が違います。虫は見つけ次第つぶしたり胡桃や空木の葉で払ったりしてはいますが、どうなるのでしょうか。絣模様の葉を気にしつつ、あとは稲の生命力を信じて待つより仕方ありません。

苗消毒や除草剤を使わないぶん、今年もヤゴがたくさん発生してゆったり泳いでいました。それをもって、半ば元気の稲ですが、まあ良しとしましょう。

陰暦閏五月です。閏月は19年に7回入ります。どの月に入るかは二十四節気の約束事によります。太陽の周期と調整をする関係で、今年は五月に閏月が入りました。
源氏ホタルが出始めました。マタタビの葉が白くなり、白花白山千鳥が今年初めて咲きました。裏庭に自然に生えてきたもので、豊かな自然に囲まれていることがうれしい閏五月のことです。

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田んぼ通い

庭の花菖蒲が咲き出しました。ドイツ菖蒲のような豪華さはありませんが、気品のある美しさを湛えています。江戸の時代からずっと愛され、千以上もの色変わりがあるといいます。色とりどりの花模様は、紫陽花同様雨によく似合います。華やかと清楚さを併せ持つ陰暦五月の花です。

陰暦の五月は連日、田んぼに通い詰めています。ぬるんだ水に浸かり、田の草を取ります。この時期はイネの株間に生えるヒエやホタルイやシズイなどの芽を、手で掻いて取ります。腰をかがめ一歩ずつ歩いて掻き取るので、時間がかかります。除草機も押して転がします。これがなかなかの力仕事なのです。

ぬる水に浸り草掻きをしていたら、あめんぼやおたまじゃくしにゲンゴロウや水カマキリがいました。ヤマアカガエルの卵塊も浮いています。ヤゴも泳いでいます。蜘蛛が糸を張り出しました。ヒルもいます。カルガモやハシボソカラスやヤマドリがやってきます。

生き物たちが集散する青田に、今日も私は出かけてゆきます。

6月23日(金)夜7時から花田久美子さんと藤原佳子さんのコラボ「天と地の唄」の催しがありました。「今、ここ、私」を離れる唄と音楽の世界。天と地の宇宙に包まれる気持のよい、陰暦五月晦日の夜のひと時でした。


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渚作り

野山に、時鳥(ほととぎす)や郭公(かっこう)や筒鳥(つつどり)が渡ってきて鳴き始めました。空木(うつぎ)や藤の花が咲き、海老根(えびね)、延根千鳥(のびねちどり)、采配蘭(さいはいらん)、甘野老(あまどころ)、一人静(ひとりしずか)、二人静、鈴蘭などの野の花が、そっと、あるいは群がり咲いています。いい季節になりました。いつもの自然の役者が今年も田んぼの周りに揃い、いざ田植えの時です。

畔(くろ)塗り、田起こし、水入れ、荒がき、代(しろ)だし、と順に田植えの準備をしていく中で気がついたことがあります。これは海で言えば、ひたひたの渚を作っているのだなと。人工的に渚を作る作業が田植えの準備なのです。

渚は海でもなく陸でもないところ、それはまた海であり陸であるところです。渚は鳥や魚や蟹や貝やイソギンチャクやゴカイなど、たくさんの生き物で賑わいます。田んぼは水の中でもなく土の中でもないところ、それは水の中ともいえますし、土の中ともいえるます。稲にとっての心地よい生育場所ですが、稗(ひえ)や蛍藺(ほたるい)やこなぎや、またヤゴや水蜘蛛やゲンゴロウやイモリや水かまきりなどたくさんの生き物たちの棲み処でもあります。

海と陸を結ぶ渚が、生きものにとって気持ちいいのと同じように、水と土の境目が稲には快適な場所なのです。稲のために快適な人工の渚を作ることが、田植えの準備と言えます。海と陸の境目の渚、水と土の境目の田んぼ、町と山の境目の里山、そういう境目に生き物は多く集います。生きものの集う境目作りに、ここしばらくは労を払うことにします。

農事を始めるにあたって、山の神に今年の農事の安寧と実り多きことを祈りました。

陰暦の五月です。まっとうな夏を迎えるため、色とりどりの緑が単一の緑色にまとまろうとするかのように、木々は葉の色を濃くし始めました。

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青に緑

空はなぜ青く、草木はなぜ緑なのか、ふとそんなことを思う、気持ちのよい季節になりました。若く瑞々しい青空に緑の草木、その風景の前に立つと、体の細胞が静かに燃え始めます。青と緑には、不思議なエネルギーが潜んでいます。
もし、天地のエネルギーに色があるとするなら、それは青と緑なのでしょう。
青と緑の風景の前で、私は今年の農事の始まりを知ると同時に、野良へ向かう気が、ふつふつと湧いてくるのを感じることができます。

歌♪ いのちの力 ♪

芽吹こうとする  いのちのちから   伸びようとする  いのちのちから
満ちてくる満ちてくる  地上に空に  満ちてくる満ちてくる  ぼくの心に
芽吹こうとする  いのちのちから   伸びようとする  いのちのちから

咲かそうとする  いのちのちから   伸びようとする  いのちのちから
満ちてくる満ちてくる  地上に空に  満ちてくる満ちてくる  きみの心に
咲かそうとする  いのちのちから   伸びようとする  いのちのちから

ぼくの心に   きみの心に       満ちて満ちてくるちから
このちからは  どこからきて      どこへ いこうと  しているの
夢えがいて  愛はぐくみ        銀河宇宙の  旅の空

生まれんとする  いのちのちから   生きようとする  いのちのちから

田んぼの畔の草刈り、くろ塗り、田起こしが終わりました。この後田んぼに水を入れ、荒かき、代かきののち田植えです。卯の花のつぼみが膨らんできました。河鹿蛙の澄んだ声が聞こえています。燕が空を飛び交い、百合の芽が伸びてきました。季節は速さを得て、夏に向かっています。

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直耕

曇りのち雨、俄かに晴れたと思ったら、また曇って雨が降り、そののち晴れ間の広がるうずまき天気の日、縄文のうずまき社の5年目のオープンとなりました。

海上川は楽しそうに歌い、庭の桂はぷちぷちの臙脂の芽を吹き、紫木蓮やさくらんぼの赤白大小の木の花がまずは咲き始め、ラッパ水仙が黄色の光線を明るく放ち、オオイヌフグリの青くやわらかな絨毯が広がり、西洋タンポポが控え目にぽつぽつ目を開け、イヌナズナやタネツケバナがいつのまにかひっそりと咲いています、そんな春の日、みなさんが集まってくれました。

役割を決めずとも、それぞれ自分のできることを見つけ、洗う切る握るよそう運ぶなどして、お昼の用意を整えました。

おにぎりとひっつみ、それにこれも手づくりのスコーンをいただき、楽しく賑やかなお昼時とあいなりました。子どもが8人、にぎやかでした。市と言っても人口は現在2万7千人、去年は2万8千人台だったのに過疎が進む町にあって、子どもの笑顔泣き顔を見るだけで幸せな気分に浸れます。

午後はゆっくり百人一首や坊主めくりを楽しみました。初めての人が多かったけれど、子どもも大人もそれなりに楽しめるところがカルタ遊びのいいところです。

今年は何をしましょう。映画館はなく大きな本屋も寄席も美術館もありません。でも、田舎には大地があります。種を蒔けば芽が出る、肥沃な大地があります。それを生かさない手はありません。江戸時代中期の思想家の安藤昌益が説いた「直耕」。男は穀物を作るために土を耕し、女は服を作るために機を織る、このような労働が人の本来の生き方だ、と言ってます。私は、今年も土を耕し食べ物を作ることにしましょう。食でつながっていけたらいい。

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春の演奏

生きていれば、身も心も汚れが溜まります。天地も同じこと、春夏秋と少しずつ天地の汚れは地上に堆積し、冬のはじめには雪の白い衣手に包まれます。降っては積もり嵩を増す雪は、汚れた大地をまるでいとおしむかのように、そっと抱きしめます。心地よい雪の抱擁に天地の汚れは安らかな眠りにつき、浄化される時を待ちます。

冬の間中、雪はその年の天地の汚れの嵩の分だけ降り積もります。汚れが多い年はたくさんの雪が、汚れが少ない年はそれなりの雪が、地上に降っては積もるのです。

やがて春のぬくみとともに、天地の汚れは雪解け水に身を委ねます。雪の身に少しずつ己が汚れを溶かしこみ、それが泥水となって川を下っていきます。動きの目立たなかった冬の川に取って代わって、春の到来とともに川は音を立てて流れ出します。寒さが厳しい分、北国の春の川は、世の耳目を集め、勢いよく流れ下ります。

北国の雪解け水は、気持ちよいほどのたっぷりの量です。川の流れ下る音は歌っているようで、どこか楽しげでもあります。というのも雪解け水は、天地の濁り水でありながら、しかもそれは天地を浄化する水でもあるからなのでしょう。川は、天地が浄化されるのが、わが事のようにうれしいのです。

汚れの消えた地上には、さっそくふきのとうやふくじゅそうやあずまいちげが花を咲かせます。北の野原では華やかな春の演奏が始まりました。

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5年目オープン

北国に暮らしはじめて6年目に入ります。東京で生まれ育ち、関東圏が生活の場でしたが、一念発起して今、北国の田舎にいます。田舎の暮らしがどういうものか体で知りたかったのです。

当たり前のことですが、冬が長い。真冬は覚悟を決めて受け止めることができるようになりましたが、3月4月は春と冬の色斑(まだら)の季節です。斑の季節が長くて体が慣れません。桜が満開になるのが5月の連休頃で、関東よりひと月おくれですが、そこからは身なれた?春の感覚が蘇ります。

今年は、3月13日<陰暦二月十六日>の朝でした。コハクチョウの渡りが見られました。いくつもの大群がクワーク、クワークと励まし合いながら、わが家の上空を、北へ向かって飛んで行きました。ここは白鳥川、白鳥城など、かつて白鳥信仰や白鳥伝説が色濃く残っていた地です。

縄文人や蝦夷は、白鳥の渡りを見て、春の感懐を覚えたに違いありません。時を隔て今、私も同じ光景を見、春の始まりを思い抱いています。その、時のつながりが何よりうれしいのです。

縄文のうずまき社  5年目オープン

2017年4月23日(日)<陰暦三月二十七日> 

10時:オープン  12時:昼食  午後は百人一首などお楽しみ会。

参加希望者は、4月20日までに連絡ください。300円。

開社日時 西暦4月23日(日)~11月11日(土)

<陰暦三月二十七日~九月二十三日> の10時~15時まで。

土間、座敷、囲炉裏の間、巨木の庭など公開しています。入場料300円(会員、学生、子どもは無料です)。田畑に出ていることが多いので、前日までに連絡ください。   

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七崎神社

欠損、ずれ、ゆらぎ、ひずみ、すきま、などというものに気づき、それが心中大きな位置を占めるようになったのは、いつからなのでしょう。子どものころは考えもしなかったでしょうから、大人になってからなのでしょう。それも比較的最近のような気がします。けれど、小さい時や若い時は気づかなくても、自ずと欠損に向けて、それを穴埋めするために行動していたのかも知れません。

欠損は、完全に埋めることはできないし、ふさぐこともできないのですが、欠損を埋めようとしたり、すきまをふさごうとしたりするとき、大きなエネルギーが湧きたつ気がします。人は、生まれた時から死に向かって生きていて、不老不死ではありませんし、そもそも宇宙は欠損から生まれ出たのかもしれません。人も宇宙も欠損を抱え持つ存在なのでしょうか。

北・東北で大きな欠損地はどこかというと、それは十和田湖です。縄文時代前期にも、915年(平安延喜15年)にも 大爆発がありました。大きな欠けが生じ、そこに水が溜まって湖になりました。十和田湖を前にするといつも、湖が悲しみを吸い取り喜びを受け止めてくれる、それも丸ごと。この全能感がたまりません。春から秋にかけて時々出かけます。

さて、初詣に五戸の七崎(ならさき)神社に行ってきました。今は八戸市に編入されましたが、中世は永福寺、近世は徳楽寺として栄え、参詣人が絶えなかったといいます。十和田霊場の修験の拠点でした。江戸時代に盛んだった十和田信仰の本拠地でした。廃仏毀釈で伽藍はすっかり縮小され、今はひっそり閑としていますが、苔むす落ち着いたたたずまいと樹齢千年の三本の杉が、古刹であることを物語っています。時の湖を湛え、時の堆積を称えている神社です。

凡庸でいい。今年一年の安寧を祈ってきました。

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小正月のお祝い

宇宙は渦を巻きながら今も、ある方向に進んでいます。その宇宙リズムである時間は、直線で進む時間と繰り返す時間があります。時間は、くり返しながら前に進んでいて、それをだれも押しとどめることはできません。人も動植物も、宇宙のとてつもない時空の中で、その片隅のさらに片隅に誕生し、ほんのひと時のいのちを与えられ、成熟し、そして枯れてゆきます。そういう意味で、人も動植物も大金持ちだろうが貧乏だろうが、時間は平等です。

産業革命以後、直線に進む時間ばかりが重視され、繰り返す時間は脇に追いやられてしまいましたが、賢治の言う「すきとおったほんとうのたべもの」の学問や文化や芸術は、繰り返しの時間の中から生まれてくるような気がします。繰り返しの時間が、知性や感性の深みを引き連れてくれます。直線的で表層的な知性の一部は、やがて反転して反知性になり、貧困と格差を生み出してきた気がします。戦争がそうであるように、貧困と格差も反知性の吐瀉物なのです。

いまだ雪は降り寒くもありますが、雪交じりの雨が降るようになってきて、今年も小正月(旧暦の一月十五日)がやって来ました。眠っていたいのちの春が、雪解け水で目を覚ましました。地域のみなさんと一緒にお雑煮を食べ、カルタやどっぴきや輪投げ遊びをし、お酒も飲んで、小正月を祝い楽しみました。

過疎や老齢化の波がひたひたと寄せてはいますが、「楽しかった。来年もまたやりましょう」「来年もできたらいいね」などとみなさんが声をかけながら、それぞれの家に笑顔を運ぶために帰ってゆきます。土間にあったたくさんの長靴はあるじを得て、一つまた一つ雪道に消えていきました。

先日シュレーゲルアオガエルの鳴き声が、海上川のほうから聞こえてきました。如月(きさらぎ)、春の気がさらにやってきます。北国の春様、お待ち申しておりました。

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2017サイトギ

どちらかというと太平洋側の山里なので、立春が過ぎるとよく雪が降るようになります。よく雪が降るようになると、恥ずかしがり屋の春はどこか近くにやってきています。姿を見え隠ししながら、緩やかな雪の山坂道をゆっくり下りてきます。止まることはありません。駆け出しもしません。生まれたばかりの春ですから。

冬に眠っていた春は、いつ目覚め、歩き出すのでしょう。先日、雨交じりの雪が降りました。凍てついていた空と大地に、少しく水が動きだします。空も大地も草木も、わずかな水の巡りを察知して、目を覚ますのです。

昔、日本人は、自然の内側で仲の良い家族のように、自然とともに暮らしていました。だから、寝ぼけまなこの春を、早く起きてと、揺り起こしました。揺り起こせば、自然は応えてくれることを知っていましたから。その春の催しの一つが、月と炎の祭典、サイトギです。

伝承によると、400~500年前から続いているということですが、毎年旧暦の一月六日に行なわれるサイトギに、今年も行ってきました。厳しい寒さの中でした。祭りの最高潮は、水をくぐった白装束の男衆が、棒でやぐらを叩くところです。炎が火柱となって大きく上り、火の粉がぱちぱちと花火のように散ります。火の粉は風に乗って霰となり周りの人に降りかかります。六日のおぼろ月が、立ち上る炎のゆらめきをじっと見ていました。

白い雪、それに男衆の白い、足袋に鉢巻きに晒しに含み紙に紙垂(しで)。白は再生の色でもあります。月と炎と男衆の三者によって、春の再生の舞台装置は整い、春は再生しました。今年も豊作のご託宣があり、まずはめでたしめでたしの幸先のよい出立です。いい年でありますように。

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風景

連日氷点下の朝です。最高気温が氷点下の日もあって寒いのですが、6年目にもなると、体が北国の寒さに慣れてくるから不思議です。関東にいたころと、真冬の体感はそうは変わらない気がします。適応というのでしょう、人の体は大したものです。もっとも家の中にいることが多いかもしれないですが。

寒い中に思うことがあります。それは、この地に暮らしていた縄文人は、どうこの寒さをやり過ごしていたのだろうか、ということです。
「子どものころ、風の強い夜には板戸の隙間から雪が入ってきて、朝目覚めると、枕元に雪があったもんだ」なんていう話が、今でもあるくらいですから、縄文の大昔のこと、服も布団も決して今のように暖かいものはなかったはずで、どうやって冬は暮らしていたのか、と思いをめぐらします。

想像するに、彼らは寒さにわなわな体を震わせ、顎(あご)をがちがち音立てていたわけではない、と思います。快適とまではいかないけれど、工夫を凝らし、不快を取り除くことに努め、それなりに温かく暮らしていたのだと思います。根拠はありません。けれど、いろいろ工夫して暮らすのが人間ですから。焚火、毛皮、木の皮、草の布団、洞穴、雪室、地下室等、ああだこうだと縄文の冬暮らしを想像してみるのも楽しいものです。

縄文人がかつて再生を願った神の山、神の川、神の広場。彼らの風景は、今は時の褥(しとね)に包まれて静かに眠っています。そのしづもれる風景を、山並みのように連なり、川のように蛇行する時の流れに乗って見ています。いつか、彼らの再生観を普遍的無意識の井戸から汲みだそうと。

                  歌 ♪ 風景 ♪  

            あの山が 縄文の 神の 山よ
            人生まれ 人は 逝きて
            魂の 還りぬ  山

            その下を 流れる 神の 川は
            その昔 カムイチェプ(鮭)が
            群れを成し 上って きた

            この場所が 聖なる 神の 広場
            日が暮れて 月が 出れば
            歌い踊り 祈った ところ

            月は 上り 日は 沈み 時を 刻んで ゆく
            日は 上り 月は 沈み 時は 流れて ゆく

            そして いま あなたと ここに立つ 不思議

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